オックスフォード訪問記:西洋古典学とデジタル技術の接点

オックスフォード大学マートン・カレッジにジョナサン・プラグ教授を訪ね、碑文コーパスI.SicilyとHumanitextの接点、西洋古典学におけるデジタル技術とAIの受容について話しました。キーブル・カレッジと新しい人文学センターの見学も含む訪問記です。

岩田直也の写真
著者:岩田 直也(名古屋大学 准教授)

2026年6月22日、田中一孝さん、小川潤さんとオックスフォードを訪れました。

今回の渡英の主な目的はロンドンで開かれる国際会議でしたが、この機会にぜひ訪ねておきたい研究者がいました。マートン・カレッジのジョナサン・プラグ教授です。

プラグ教授は古代シチリア史と碑文学を専門とし、古代シチリアの碑文を集成するデジタル・コーパス I.Sicily を長年構築してきました。現在では3,000点を超える碑文が収録され、ギリシア語やラテン語だけでなく、フェニキア・ポエニ語、オスク語など複数の言語を含んでいます。TEI/XMLのEpiDocを用いて碑文を記述する、デジタル碑文学の代表的なプロジェクトの一つです。

Humanitextでも西洋古典の大規模なテキストデータを扱っていますし、同行した小川さんは碑文を対象としたデジタル研究を進めています。今回の訪問には、研究上かなり具体的な接点がありました。

マートンでの昼食

プラグ教授には、マートン・カレッジで昼食をご一緒していただきました。

オックスフォードのカレッジで食事をすること自体には馴染みがありますが、久しぶりに訪れて改めてよいと思ったのは、こういう場に外部の研究者を比較的気軽に招くことができ、そのまま食事をしながら研究の話ができることです。今回は私たちだけでしたが、普段のランチであれば、当然、同じカレッジに属する別分野の研究者とも顔を合わせます。

研究交流というと、共同研究を組織したり、セミナーを開催したりという少し大がかりなものを想像しがちですが、その前段階には、誰かを昼食に呼んで話してみる、隣に座った違う分野の研究者と話す、といった日常的な接触があります。オックスフォードのカレッジは、そうした機会を制度のなかにかなり自然に組み込んでいます。

もっとも、この日のオックスフォードはヒートウェーブの最中でした。冷房のないホールで、こちらもプラグ教授も汗をかきながらの昼食です。最初の話題が暑さになるのもやむを得ません。

そこから、話はデジタル技術やAIを西洋古典学にどう持ち込むかという問題へ移っていきました。

デジタル技術を古典学のなかで使う

話していて印象に残ったのは、イギリスでもデジタルな研究手法が西洋古典学のなかに広く浸透しているわけではない、ということでした。

もちろん、オックスフォードを含め、イギリスには重要なデジタル古典学のプロジェクトがいくつもあります。しかし、それと、多くの古典研究者が日常的にデータ処理や計算的手法を研究に取り入れていることとは別です。

AIになると、なおさらです。

生成AIによる翻訳やテキスト生成の精度に対する懐疑は当然ありますし、より原理的に、こうした技術を古典研究に導入すること自体に慎重な立場もあります。このあたりの温度差は、日本の古典学だけに特有のものではないようでした。

その一方で、プラグ教授自身はAIをかなり実際的に使っています。碑文研究では機械学習を用いた欠損箇所の復元にも関わってきましたし、現在はAIコーディングエージェントも日々の研究作業に取り入れているとのことでした。

興味深かったのは、AIについて大きな理念を語るというより、「この仕事には使える」というところから普通に使っていることです。

西洋古典学にAIを導入するというと、つい「AIは古典を読めるのか」といった大きな問いになりがちです。しかし実際には、データを整形する、コードを書く、大量の資料を調べるといった、研究の日常的な工程から変化が始まっています。

Humanitextを開発していて感じてきたこととも、かなり重なる話でした。

碑文とHumanitext

今回の訪問で、研究上もっとも具体的な収穫だったのは、I.Sicilyの碑文データについて詳しく話を聞けたことでした。

Humanitextではこれまで、プラトンやアリストテレス、ホメロスをはじめとする伝世文献を中心にデータを整備してきました。しかし、Humanitextが対象としているのは西洋古典そのものですから、碑文は決して別の研究対象ではありません。

I.Sicilyのような相当な規模の碑文コーパスがすでに存在しているのであれば、将来的にこうした資料をHumanitextの検索・対話環境と何らかの形で接続することができないか。今回の話を通じて、そうした可能性も考えられるようになりました。

碑文が加われば、できることも少し変わります。

文学作品や哲学書のなかで使われている語や制度を調べ、それを同時代の碑文資料と比較する。特定の都市や人物について、歴史叙述と碑文を横断して探索する。伝世文献だけを集めたコーパスとは違った使い方が考えられます。

もちろん、碑文には欠損や補いがあり、出土地、年代、媒体、編集上の判断なども重要なので、伝世文献をそのまま追加するのと同じようには扱えません。I.SicilyがEpiDocによって詳細な構造化を行っているのも、まさにそのためです。

同行した小川さんも碑文資料のデジタル研究を進めており、この点では今後いくつか面白い接点を作れるかもしれません。

まだ具体的な共同研究が決まったわけではありません。ただ、これまで別々に進めてきた研究のあいだに、どのような接続がありうるのかを考える材料を得られたことは、今回マートンを訪れた大きな収穫でした。

午後はキーブルへ

午後には、アウグスティヌスを専門とし、現在オックスフォードに留学している石川知輝さんに、所属するキーブル・カレッジを案内していただきました。

キーブル・カレッジへ向かって歩く3人

オックスフォードには長くいましたが、キーブルについてはほとんど知りませんでした。自分の知らないカレッジを、そこで実際に生活している研究者に案内してもらうのは面白いものです。

キーブルは1870年、オックスフォード運動の中心人物の一人だったジョン・キーブルを記念して創設されました。当初から、従来のカレッジより経済的な負担を抑えて学生を受け入れることが構想されており、ウィリアム・バターフィールドによる多色煉瓦の建築も、古いカレッジとはかなり異なる印象を与えます。

とりわけダイニングホールは壮観です。現在のホールは1878年に開かれたもので、オックスフォードでも最大級の規模を持ちます。ハイテーブルを含む基本的な仕組みには馴染みがありますが、フォーマルディナーの運用やカレッジの日常には当然それぞれ違いがあり、そのあたりを石川さんから聞きながら歩きました。

キーブル・カレッジの食堂。ステンドグラスと赤煉瓦のホールに長机が並ぶ

ここでも考えたのは、カレッジという仕組みのことでした。

オックスフォードでは、所属する学部や研究分野とは別にカレッジがあるため、日常生活では専門のまったく違う人たちと一緒になります。研究室や学部だけを単位として生活していると、どうしても同じ分野の研究者との交流が中心になりますが、カレッジではそうならない。

石川さんからも、教父学のセミナーのあと参加者でパブへ行く話など、普段の研究生活についていろいろ聞きました。

こうした環境に長くいると当たり前に思えてくるのですが、大学を離れて改めて訪れると、専門分野の共同体とは別に、異分野の研究者と日常的に顔を合わせる共同体を持つことの意味を考えます。

午前中にマートンで外部から来た私たちが自然に昼食に加わり、午後にはキーブルで異なる専門の研究者が同じカレッジで生活する話を聞く。研究そのものとは少し離れていますが、新しい研究上の組み合わせが生まれる条件として、こういう仕組みはやはりよくできています。

新しい人文学センター

最後には、石川さんに新しい Stephen A. Schwarzman Centre for the Humanities も案内してもらいました。

人文学系の学部・研究機関、図書館、教育研究スペースに加えて、コンサートホールや劇場などを一つの建物に集めた大規模な施設です。歴史的なカレッジのイメージが強いオックスフォードですが、その一方で、人文学のための新しい研究環境にもかなり大きな投資が行われています。

13世紀創設のマートン、19世紀のキーブルを歩いたあとで、こうした新しい施設を見るのも興味深いものでした。

そして、この日の私たちには何より、冷房が効いているのがありがたい場所でした。

西洋古典学のなかで

今回の訪問で一番大きかったのは、やはりプラグ教授と直接会い、デジタル技術やAIを西洋古典学にどう取り入れるかについて、かなり具体的に話せたことです。日本とイギリスで意外に似た難しさがあることも分かりました。

一方で、I.Sicilyのように長年蓄積されてきた碑文データと、Humanitextや小川さんの研究とのあいだには、今後いくつか接点を作れるかもしれません。

次につながりそうな話をいくつか持ち帰ることができた。今回の訪問の収穫は、そこに尽きます。

関連する記事

DH2026参加記:AI翻訳と、研究基盤をつくるということ

DH2026参加記:AI翻訳と、研究基盤をつくるということ

DH2026(韓国・大田)参加記。AI翻訳が導入された会場で日本語のまま発表・質疑した経験と、新規性を競う研究と「実際に使われる研究基盤」を育てる仕事とのあいだで考えたことを記します。

忘れさせる神、忘れない男:『オデュッセイア』の結末

忘れさせる神、忘れない男:『オデュッセイア』の結末

映画『オデュッセイア』の結末が引っかかった方へ。原典は求婚者を討ってからも続き、最後は神が人々に忘れさせて平和を用意します。映画はその終わり方をどう変えたのか。忘却と記憶をめぐる二つの結末を、原典の行から読み比べます(映画の結末に触れます)。

『オデュッセイア』のアテナ――原典と映画はどう違うのか?

『オデュッセイア』のアテナ――原典と映画はどう違うのか?

映画のアテナはなぜ主人公を救わず、責めもしないのか。原典で主人公と知恵を分かち合い、帰還の要所で介入する女神の姿と突き合わせると、映画の演出の狙いが見えてきます。

映画『オデュッセイア』を観てきました

映画『オデュッセイア』を観てきました

ノーラン監督の映画『オデュッセイア』を、先行上映でHumanitextのメンバーと観てきました。昼食の席で話題になった巨人の姿、セイレーンの歌、帰郷のあとの旅について、原典ではどう書かれているかを、ネタバレなしで記します。