哲学者はなぜ嫌われたのか:古代ギリシア・ローマの過激すぎる悪口
「ソクラテスとかいう貧乏な喋り屋が大嫌いだ」
これは現代のSNSに書き込まれた悪口ではありません。古代ギリシアの喜劇に残された、哲学者への罵倒です。
現代では聖人のように仰がれることも多い古代の哲学者たち。しかし当時の街角では、彼らは「変人」「無能」「口うるさい連中」として、かなり容赦ない言葉を浴びせられていました。
1. 理屈は立派、実生活では無能
哲学者が最も浴びせられた批判は、「理屈は立派だが、実生活では無能」というものでした。
この手の話として有名なのが、星を眺めていたタレスが井戸に落ちたというエピソードです。
タレスが星を観察しようと上を向いて歩いていて井戸に落ちたとき、気の利いたトラキアの女奴隷が『天上のことを知ろうと夢中になるあまり、自分の目の前や足元にあることには気づかないのですね』とからかったと言われています。この嘲笑は、哲学に生涯を捧げるすべての者に当てはまります
(プラトン『テアイテトス』174a-d)

笑い話のようですが、ここでからかわれているのはタレス個人だけではありません。プラトンはこの話を通して、哲学者という存在そのものが、世間から「目の前のことも見えていない人」と見られがちだったことを示しています。
タレスの話は笑い話として語れますが、この手の批判はもう少し辛辣な形でも残っています。医学者ガレノスに言わせれば、哲学者たちは「世界の外側」については得意げに語るくせに、いざ具体的な作業になると何もできない人たちでした。
あんたがた『自称・賢者』の先生方は、いつもこうだ。この世界の外側のことなら知っているつもりでいるが、そんなものは推測しかできんし、学問的に証明などできやしない。そのくせ、そこらの誰でも知っているようなこと――例えば水と木の重さを比べる方法なんて実務的な話になると、さっぱりときた
(ガレノス『魂の誤りの診断と治療について』p. 100)
今で言えば、「壮大な理論は語るけれど、現場のことは何も分かっていない人」への苛立ちに近いでしょう。哲学者たちは、当時の一部の人々には、宇宙の真理を知っていると豪語する滑稽な自惚れ屋に見えていたのです。
2. 真理は語るが食い扶持はない
「理想を語る暇があるなら、明日食うものの心配をしろ」。これは現代でも見かけることのあるタイプの批判です。高尚な理念を語る人に対して、「で、あなた自身はちゃんと生活できているんですか」と突っ込む人は、古代にもいました。
アスクレピオスが引用する喜劇作家の言葉では(注1)、ソクラテスはまさにそういう存在として描かれています。
私はあの、ソクラテスとかいう貧乏な喋り屋が大嫌いだ。あいつは他の事柄については深く考えてきたが、どうやって食い扶持を得るかということについては、これっぽっちも考えやしないんだからな
(トラレスのアスクレピオス『アリストテレス『形而上学』注解(Α巻-Ζ巻)』135.23-24)

ここで笑われているのは、ソクラテスの貧しさそのものというより、「世の中の深遠な問題は考えるのに、自分の生活は成り立っていない」というちぐはぐさです。哲学者は、真理を探究する人であると同時に、周囲からは「考えることは立派でも、暮らしは頼りない人」と見られることもあったのです。
さらに、同箇所では、哲学者が重箱の隅をつつくような細かい議論をすることを、金銭に汚いケチな人間になぞらえて「卑屈な細かさ」や「小利口なスズメの涙ほどの議論」と呼んでいます。
3. 高尚ぶった俗物
哲学者が貧しいからといって笑われる一方で、では権力者に近づいて生活の安定を得れば尊敬されたのかというと、そうでもありませんでした。
今度は逆に、「立派なことを言っているくせに、結局は金や快楽や権力が好きなのではないか」と疑われます。現代にも、道徳や理想を語る人に対して、「でも本人もそんなに清廉ではないじゃないか」と突っ込む人はいます。古代の哲学者たちも、まさにそのような目で見られていました。
彼は我々の学園を嗅ぎまわり、哲学者に向かって『補助金をもらっているくせに』とか『女遊びや食い道楽にふけっている』と難癖をつけてくるだろう。あっちの哲学者は不倫の真っ最中だ、こっちは酒場に入り浸りだ、あいつは宮廷で取り入っている、ということを突き付けてな
(セネカ『ルキリウス宛倫理書簡』29.5)

つまり、哲学者は貧しければ「貧乏な理屈屋」と笑われ、支援を受ければ「哲学を金儲けに使う俗物」と疑われたのです。どちらに転んでも、世間の目はなかなか厳しいものでした。
ただしセネカは、こうした批判を正当な告発とは見ていません。彼にとって問題だったのは、哲学者が完全無欠ではないことではなく、批判する側がその不完全さを口実にして、「だから高潔に生きようとすること自体が無意味だ」と言いたがることでした。
セネカからすれば、哲学者は少なくとも徳を目指して歩こうとしている人です。たとえ足元がふらついていても、向かっている方向は上です。ところが批判者たちは、自分自身の悪徳には目を向けず、上を目指す人の小さな欠点を見つけては、「ほら、あいつも大したことはない」と引きずり下ろそうとする。セネカは、その態度をこう皮肉っています。
お前たちは、自分自身が数多くの潰瘍(かいよう)に覆われているというのに、他人の小さな吹き出物を観察している。自分の体はひどい疥癬(かいせん)に食い荒らされているくせに、最高に美しい体のホクロやイボを指さして笑っているようなものだ
(セネカ『幸福な人生について』27.4)
かなり強烈な言い返しです。セネカが見ていたのは、単なる「哲学者への悪口」ではありません。善く生きようとする人の欠点を探すことで、自分が善く生きようとしないことを正当化する。その不誠実さこそが、彼にとっては本当の問題だったのです。
4. 正しさでこちらを裁いてくる
哲学者が嫌われた理由は、貧しさや金銭への疑いだけではありません。もっと根本的には、彼らが「こちらを裁いてくる人」に見えたことも大きかったようです。
誰でも、頼んでもいないのに生活態度を正されそうになると身構えます。正しいことを言われるかもしれないからこそ、先に相手を「偉そうだ」「面倒くさい」と決めつけたくなる。ディオン・クリュソストモスは、そうした人々の反応をかなり鋭く描いています。
人々は、哲学者が自分たちを軽蔑し、無知で不幸だと思っているのではないかと疑っている。そして、こう勘ぐるのだ。『面と向かっては笑わないが、学の無い俺たちを惨めな奴らだと思っているに違いない』と。だから先手を打って、哲学者を『惨めで愚かな連中だ』と罵り、嘲笑するのだ。そして、誰かが哲学者の格好をしているのを見る時、彼らはこう考える。『こいつは、航海や農業や羊の世話のためにこんな恰好をしているんじゃない。むしろ人間に対して備えをしていて、訓戒し、論駁し、決してへつらうことなく、誰にも容赦せず、それどころか、言葉によって俺たちをできる限り懲らしめ、俺たちがどんな人間か暴き出すつもりなんだ』と。
(ディオン・クリュソストモス『弁論集』72.7-10)

ここで嫌われているのは、哲学者の服装そのものではありません。粗末な上着や長い髪と髭は、単なる見た目ではなく、「私はあなたたちの生き方を問いただす側の人間だ」という無言のサインとして受け取られていたのです。
だから人々は、哲学者の姿を見るだけで身構えました。彼らにとって哲学者は、街角に現れる口うるさい教育係のような存在でした。面と向かって説教される前に、先に「惨めなやつ」「大馬鹿者」と罵っておく。そこには、軽蔑だけでなく、見透かされることへの恐れもあったのでしょう。
結論:哲学者はなぜ嫌われたのか
こうして古代の悪口を並べてみると、哲学者が嫌われた理由は単に「変わり者だったから」ではないことが見えてきます。
彼らは、実生活の役に立たない空論家に見えました。真理を語るくせに、自分の生活もままならない人に見えました。徳を説く一方で、金や快楽や権力から自由ではない俗物にも見えました。そして何より、人々の生き方を上から裁いてくる存在に見えました。
哲学者への罵倒には、知識人への冷笑だけでなく、「自分の生活を否定されるかもしれない」という不安も混じっていたのでしょう。だから人々は、彼らを笑い、罵り、引きずり下ろそうとしたのです。
それでも、2000年以上経った今、哲学者たちの言葉は古典として残っています。そして同時に、彼らに浴びせられた悪口もまた、驚くほど生々しく残っています。
こうした悪口を、古代人の未熟な反応として笑うのは簡単です。しかし、同じような反応は現代にはありえないのでしょうか。
ややこしいことを考える人を「面倒くさい」と遠ざけ、すぐに役立たない知を「無駄」と切り捨て、耳の痛い言葉を「上から目線」と受け取る。そうした反応は、現代にも形を変えて残っているように思えます。
哲学とは、高尚な真理を語るだけの営みではありません。人々を苛立たせ、笑わせ、時には怒らせるほど、生活のただ中に食い込んでしまうものでもあるのです。
こぼれ話:哲学者はどんな格好をしていたのか
ここまで見てきたように、古代の人々は哲学者の言葉だけでなく、その姿にも強く反応していました。では、そもそも「哲学者らしい格好」とはどのようなものだったのでしょうか。こぼれ話として、古代の哲学者の見た目を少し掘り下げてみましょう。
古代ギリシア・ローマの世界では、哲学者は一目でそれと分かる格好をしていました。粗末な外套、長いひげ、長く伸ばした髪。とくにキュニコス派の哲学者は、杖や袋を持ち、裸足で歩くこともありました(ディオン・クリュソストモス『弁論集』72.2;タティアノス『ギリシア人への講話』25;偽ルキアノス『犬儒派』17)。
代表的なのが、トリボーンと呼ばれる粗末な外套です。哲学者は下着であるキトンを着ず、肌の上に直接この外套を羽織ることもありました。これは単なる貧しさの表現ではありません。贅沢を避け、暑さや寒さにも動じない、自分を律する人間であることを示すスタイルでした(ディオン・クリュソストモス『弁論集』72.2;偽ルキアノス『犬儒派』17)。
ひげや長髪にも意味がありました。ひげは知恵や男らしさの象徴とされ、ゼウスやポセイドンのような神々の姿にも重ねられました。髪やひげを整えすぎないことは、流行や世間の価値観に振り回されないという意思表示でもありました(ディオン・クリュソストモス『弁論集』72.5;偽ルキアノス『犬儒派』20;タティアノス『ギリシア人への講話』25)。
ただし、すべての哲学者が同じような格好をしていたわけではありません。キュニコス派は特に質素で目立つ姿をしましたが、ストア派には、もっと身だしなみを整え、清潔感のある外見を保つ人々もいました。哲学者らしさにも、学派ごとの濃淡があったのです(偽ルキアノス『犬儒派』17;ルキアノス『ヘルモティモスあるいは諸学派』18)。
問題は、その格好があまりにも分かりやすい記号になったことでした。外套をまとい、ひげを伸ばせば、それだけで哲学者らしく見えてしまう。だからこそ、「格好だけの哲学者」も現れます。長いひげと外套をまとって金を無心しに来た男に対し、ヘロデス・アッティクスという人物が「ひげと外套は見えますが、哲学者はまだ見えません」と皮肉ったという話も残っています(アウルス・ゲッリウス『アッティカの夜』9.2.1-4)。
つまり、哲学者の格好は、魂のあり方を示す看板のようなものでした。贅沢から距離を置き、世間の価値観に縛られず、自由に生きようとする姿勢を見た目で示していたのです。しかし看板が目立つほど、「本当に中身も伴っているのか」と疑われる。古代の哲学者たちは、服装やひげによって尊敬されると同時に、嘲笑や不信も引き寄せていたのです(ディオン・クリュソストモス『弁論集』72.1-6;アウルス・ゲッリウス『アッティカの夜』9.2.9-11)。
注
- Eupolis, in T. Kock (ed.), Comicorum Atticorum fragmenta, vol. 1, Leipzig: Teubner, 1880, fr. 352.1.
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